「子育て」という言葉を聞くと、私たちはつい、「親が子どもを育てる」「親には子どもをきちんと育てる責任がある」と考えがちです。
もちろん、子どもの生命を守り、その成長を支えることは、親の大切な役割です。
けれども、私は最近、あらためて感じることがあります。
それは、子育てとは、親が子どもに何かをしてあげるだけのものではなく、子どもが私たちのもとに来てくれたことで与えられた、かけがえのない「愛を体験する機会」なのではないかということです。
私は、子どもは偶然その家庭に生まれてくるのではなく、どこか深いところで親を選び、「この人のところへ行こう」と決めて生まれてきてくれているように感じています。
そう考えると、子どもが自分のもとに来てくれたこと自体が、決して「あたりまえ」ではありません。
小さな身体で、何の条件もつけず、ただ純粋に私たちを信じ、愛を求めてくれる。
その存在そのものが、どれほど大きな贈り物でしょうか。
子どもは、何も知らない未完成な存在ではありません。
大人には思いつかない自由な発想をしたり、目の前の小さなことに夢中になったり、嬉しいときには全身で喜びを表現したりします。
そんな子どもたちと一緒にいると、むしろ私たち大人の方が、忘れていた「純粋さ」や「自由さ」、そして「今を生きる喜び」を思い出させてもらっていることに気づきます。
子育てには、もちろん大変なこともあります。
思うようにならない日もあれば、悩んだり、疲れたりする日もあります。
けれども、「育てなければならない」という義務の視点から少し離れて、
「今日もこの子と一緒にいられる」
「この子の成長を間近で見せてもらえる」
「この子を通して、愛するということを体験させてもらっている」
そう思えたとき、同じ日常の景色が少し違って見えてくるのではないでしょうか。
目には見えない「愛」は、抱きしめること、話を聴くこと、笑い合うこと、時には何も言わず見守ることによって、この世界に表現されていきます。
子育てとは、そんな愛を日々、形にしていく営みなのだと思います。
そして子どもは、その愛を私たちから受け取るだけではありません。
私たちにも、惜しみなく愛を届け、たくさんのことを教えてくれています。
だからこそ、子育ての根底に置きたい言葉は、「義務」よりも「感謝」。
私のところに生まれてきてくれて、ありがとう。
私を親にしてくれて、ありがとう。
愛することを教えてくれて、ありがとう。
子どもという、本当に純粋な愛の存在と深く触れ合いながら、目には見えない「愛」を表現し、共に体験していく。
「子育て」とは、人生の中で与えられた、最幸に幸せな機会なのかもしれません。

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